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2014年06月26日16時30分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.16
イシクラカズヒロ構造アトリエ
石倉 和浩さん
【一級建築士・建築の構造設計】

石倉さま01

建築の構造設計とは。

構造設計とは、建物を取り巻くいろいろな条件を考慮し、安全性を定め、それを満たす構造を設計すること。
積雪はするか、液状化はするか、地盤の状態、建物の形状などを考えて、建築家の要望をくみとりながら骨組を設計する。
独立して6年の石倉さん。
構造設計の業界には若手が少なく、耐震診断など、仕事の需要は多い。ここ数年は、仕事のペースが早く、売上もアップした。
しかし長期的に見ると、
「何かを変えなくては」
と感じている。
SO@Rビジネスポートで、その糸口を見つけたいと考え、今年3月に入居した。

石倉さま02

「耐震×小さなビル×リノベーション」に可能性。

昨今、「リノベーション」という新たな建築のスタイルが注目されている。中古物件に改修工事を行い、これまでとは全く違う用途や機能にすることで価値を高めるもので、新築で建築するより安価にできるのも魅力。
お洒落な家族が、中古物件を有効活用して斬新で個性的な空間を創り、自分たちらしい生活を楽しむ・・・リノベーションと聞くと、そんなイメージを想像する。
現状では、その殆どがマンション一室にとどまっているという。
理由は、建物に関する専門性が足りなかったり、耐震性や用途変更等の業務が煩雑で費用がかかるため、エンドユーザーの窓口となる業者がやりたがらないのだ。
ここに、ビジネスチャンスがあると、石倉さんは考えている。
石倉さんの構造設計の専門性を活かし、デザイナーや士業などの専門家と手を組むことで、これまで手付かずとされていた小さなビルやマンション等の、リノベーションの可能性を拡げたい考え。

石倉さま03

子どもの頃から、人と同じはイヤだった。

出身は島根。
両親は専業農家で、イチゴやホウレンソウ、キュウリを生産している。子どもの頃は、よく、
「ませてるね」
と言われた。大人の輪の中で静かに話を聴いているのは苦痛ではない。そんな子どもだった。
高2の時には、
「大学に進学するのはやめよう」
と思ったという。真面目だったし、勉強もスポーツもできたほうだが、人と同じは嫌だったのだ。
「早くお金を稼ぎたい」
変わったことがやりたかった。
その気持ちが高3になっても変わらなかったら、思いを貫こうと思ったが、結局、山口大学へ入学。
大学2年の時から、彼女(今の奥さま)と一緒に暮らし始めた。
アルバイトで生活していたので、早く自分で何かやりたかった。
「いつかは、起業したい」
そう、思っていたという。

石倉さま04

ベンチャー起業家に学び、独立の道へ。

大学卒業後、呉市の海運会社に就職。社長は、一代で会社を築いた40歳代のベンチャー起業家。
船主をネットワーク化して事業の企画からファイナンスまでを統括するスケールの大きい事業は、刺激的だった。
外国の船舶との取引では、相場によってドルと円を使い分けたり、起工式や浸水式など大がかりなイベントに立ち会ったりetc。
社長の傍にいたおかげで、ビジネスの深い部分も垣間見ることができた。
船は「動産」。これを「不動産」に置き替え、小さく一人で出来る範囲で仕事ができれば、面白い!  と思った。
5年で転職。入った建築設計事務所が、たまたま「構造」を得意としていたのが、今に繋がった。
全く経験の無い、建築の世界。しかし30歳までは、
「何やっても、できる」
と思っていたという。
だが、業界が違うと、評価の観点が違う。技術職であるからには、
「言われたことが出来ないと、相手にしてもらえない」
プライドが傷つくことも少なくなかった。休日には車を飛ばして浜田の海でサーフボードに乗り、波に投げ出されては仕事のストレスを発散していた頃もある。
「資格を取るまでのガマン」
そう自分に言い聞かせ、働きながら夜間の専門校に通い、建築士の資格を取った。
その後、デザイン系の設計事務所も経験し、数軒の設計事務所を転々としたおかげで、自身の強みは「構造設計」であると確信。
36歳で、独立した。

石倉さま05

変わるために。

去年から、嫌な事をやろうと決めて、動いているという石倉さん。
食べるために仕事は必要だ。その中でやりたい仕事も自然にできていれば問題ないのだが、そうでないとすると、何かを変える必要がある。
しかし、人って、そう簡単には変われない。
であれば、
「苦手なことも、あまり考えすぎずにやってみよう」
そうしていれば、きっといいことがあるだろう。
そんな思いで、異業種交流会にも出掛けてみた。
今年3月には、SO@Rビジネスポートへ入居した。
行動が変わると、気持ちも変わる。外に出ようと意識しているからか、最近、人からのコンタクトが増えたという。
いろんな誘いが舞い込んでいる。
「このタイミングに乗って、次へのステップに進みたい」
チャンスを逃さず一歩を踏み出した石倉さんに、幸運の女神は、きっと微笑んでくれるに違いない。

インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴




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2014年04月10日15時05分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.14

いのもり
井盛 厚子さん
【広島針の技術研究、販促・普及活動ほか】

303井盛さま1

生産量日本一の広島針。縫い針は「全国シェア100%」

「広島針」の製造は、三百数十年前に始まったという。
もともとは、藩主の浅野家が、下級武士の手内職として普及させた。第一次世界大戦の頃から飛躍的に伸び、その後、「広島針」はその品質の高さから、海外市場にも大きく名を知らしめるようになった。
バブル期には、50〜60もの針製造会社がここ広島にあったというが、現在、広島県針工業組合に所属している会社は17社。
数こそ減ったが、個々の強みを活かし、「広島針」を国内外に販売している。
日本一の生産量を誇る「広島針」。
縫い針は全国シェア100%、待ち針は97%でそれぞれ1位。家庭用ミシン針は49%で第2位という功績だ。

世界で認められる高品質「広島針」を知ってもらうために

「広島針」全生産量の73%は海外輸出用で、広島針の品質の良さは、世界的に認められている。
広島県針工業組合では、広島針の品質向上のための研究や、国内外への展示会出展など、「広島針」ブランドの普及に務めている。井盛さんが同組合事務局で働き始めて33年。
良い時期も、苦しい時期も、共にしてきた。
行政の補助金を受け、技術向上のための研究も、積極的に行った。広島針が折れにくく長持ちするのは、固さと共に必要な柔軟性を持たせるための、熱処理の技術が優れているから。また、糸の通りが良いのは、研摩や成形技術の成せる技。
世界に認められる「広島針」の品質は、安くてすぐ折れる針とは、その製造技術が全く違うのだ。

303井盛さま2

フランクフルトや上海ほか、世界の見本市にも、積極的に参加してきた。
「広島でもっといいものを作って、世界へ出そう!」
品質にこだわり、リーダーシップを発揮するのは、理事長の原田耕太郎氏(チューリップ株式会社/代表取締役社長)。同社の市場は90%が海外。英語はペラペラだという。
そんな理事長のもと、井盛さんは、組合全体での統計をとったり、各社の情報交換を図るなどし組合の活動をアシストしている。
平成19年には、広島市の「ザ・広島ブランド」The Hiroshima Brand.の認定も受けた。
最近では、パッケージデザインでどう付加価値をつけて売るか、ということにも積極的に取り組み、「広島針」の更なる普及に力を入れている。

303井盛さま3

趣味はヴィオラ。市民オーケストラにも所属

事務局 井盛さんの仕事はデスクワークが殆どだが、近隣であればイベントのアシストにも出向く。先日、商工センターで開催されたイベント「ひろしまキッズシティ」にもブース出店し、バーチャル店舗で子どもたちが一日店長を体験したり、フェルトを使った手芸づくりの手伝いをした。
「子どもたちが、夢中になる姿が、嬉しい」
と、井盛さん。
ご自身は、子どもの頃にジュニアオーケストラで弾いていたヴィオラを、10年前からまた始めた。二人の息子さんは結婚や就職で県外へ。今は、趣味を楽しむ余裕もできた。広島市市民オーケストラにも所属し、60人もの楽団員、20〜30歳代の人に交じって、数百人の聴衆を前に演奏もする。息子のような若い人に教えられることもあり、それもまた楽しい。土日には、気の合う仲間とのアンサンブルも楽しむ。
次の演奏会には、SO@Rビジネスポートの入居メンバーを招待してくださるとか。
仕事も趣味もバランス良く楽しみ謳歌する、そんな井盛さんとの出逢いから、遠ざかっていた音楽との距離が、少し縮まりそうだ。

インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴

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2014年02月24日18時59分

入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.13

マンション管理士 田原事務所 田原啓次さん
【マンション管理士

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マンション管理士の仕事。

分譲マンションは、そこに居住する一人ひとりがオーナー。だが共有部分の管理や修繕等をどうするか、という話になると、法的にも複雑で、一般の人にはなかなか分かりにくい。
また、マンション購入者には管理組合への加入が義務付けられているが、築10年、15年経ち、修繕が必要になった時に、どういった形で、どこに依頼するか、総会での意見がまとまらないケースも少なくない。
そんな時は、マンション管理士の出番。主に管理組合からの依頼で、コンサルティングに入り、解決に導く。
マンション購入時に、既に管理会社が自動的に決まっているケースでは、契約内容や担当者への不満が出ることもある。
ディベロッパーがマンションを売りやすくするために修繕積立金を安く設定していたため、そもそもの長期修繕計画に無理があり、3〜5年後には積み立て金を増やさねばならないというケースも多い。
規約の改定、管理委託契約の見直し、借入の際のお手伝い、管理会社や建築事務所、金融機関とのコーディネート等、マンション管理士の仕事の幅は広い。

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アパレル、ビルメンテナンス、幅広い経験を活かして。

広島県大竹市生まれ。
地元の大学を卒業後、レナウンに就職し広島に勤務。担当したのは婦人服の仕入れ。展示会への出店など出張も多く、原宿や渋谷にもよく出掛けた。25年間勤務したが、会社の業績不振のため希望退職。45歳の時だった。
再就職先は、ビルメンテナンス会社。管理部長として人事や人材育成に尽力し、ビルメンテナンス業界の幅広い知識を得た。
7年後、いったん退職して2年間務めたマンション管理会社では、若い社員に交じってマンション管理業務を経験。
「若い女性が消防設備士の資格をもっていたり、若いのに、いろんな仕事をしながら建築物環境衛生管理技術者の資格を取ったりと、ほんとみんな、よくやるんですよ」
と、田原さんの言葉に力が入る。
若い人たちから、たくさん刺激をもらったというその頃、管理会社のフロントを担い、細かいやりとり等、その大変さを実感した。
その後(現在も)ビルメンテナンス会社の顧問を務めながら、2013年4月、独立。
2014年1月より、SO@Rビジネスポートに入居した。

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知識のある人も、無い人も、様々な人を繋ぐ力。

様々な相談を解決するマンション管理士の仕事は、マンションに関する知識のみならず、幅広い知識と経験が求められる。
総会開催のアナウンスの手伝いや、その必要性を説明する広報活動のほか、会計のプロや建築士事務所など専門家との調整、契約に関する知識、また、住居人とのコミュニケーション能力や総会の方向性を導くファシリテーション力も必要だ。
築30年を超えるマンションで、大規模修繕工事が行われ無いままに老朽化したため、修繕に向け建築会社との修繕工事契約を結ぶ手伝いをしたこともある。居住者のかたには、多数決をとるルールにも不慣れなかたから、知識のあるかたまでさまざま。反対者も居る。そんな全ての人に、分かりやすく伝え、理解を促し、契約締結まで導くのは、至難の業。
また、お金の出入りを計算し、どこまでの修繕をするかの計画を立てるのは、会社経営とも似ている。
誰にでもできることではない。
「でも、面白いですよ」
と、田原さん。
「真剣に相談に来られるかたが、ちょっとでもヒントを得て、ほっとする顔になるのが、何より嬉しい」
そんな田原さんだからこそ、信頼され、任される仕事なのだと、取材をとおし、感じた。

「奥さんとの買い物も楽しい」という愛妻家。

子どもの頃は、おとなしくて引っ込み思案。人前に出るのも嫌だったというが、
「中高を男子校に入って変わった」
のだとか。
奥さまと買い物にも行くし、家族旅行は毎年行く。
本人曰く、執着はせず淡々とするタイプなので、現在25歳と28歳のお子さんに対しても、厳しく言わず淡々と接してきたというが、目の前の田原さんからは、芯がありながら人に合わせる柔軟さが感じられる。
趣味はサッカー。大学時代から、40代までは広島の社会人クラブでずっとプレイしていた。今は、サンフレッチェの年間指定席で応援するのが楽しみとなったが、プレイヤー時代の同級生とそこで会えるのもまた嬉しい。
27歳の頃からは、知人のヨットでレースにも出た。
「海の上、強い風の中でリフレッシュできる」
と、田原さん。
今後は、
「研修会等も開催し、積極的に情報発信をしていく」
田原さんの意気込みを感じた。

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インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴

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2014年02月19日17時17分

入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.12

加茂川啓明電機株式会社 中国営業所
 長岡宣洋さん
【自然エネルギー等による発電事業とその管理・運営、電気の供給・販売等に関する業務】

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太陽光発電システム拡販のため、広島に赴任。

加茂川啓明電機株式会社の本社は大阪。創業は1945年。
製品の設計・開発、電気・プラント工事、メンテナンスを主業務とする技術商社である。
某ハウスメーカーとの太陽光発電システム販売の業務提携が決まったのを機に、2013年4月に、中国営業所をここ「SO@Rビジネスポート」に新設。長岡さんが赴任した。

2012年に、再生可能エネルギー特別措置法による電力買取制度が施行されて以来、誰でも、太陽光発電した電力をすべて売電できるようになった。
農業遊休地をもっている個人や、工場のように大きな屋根がある企業などが太陽光発電システムを設置すれば、発電した電気を電力会社に売って得られる額は少なくない。
ビジネスチャンスがそこにある。

某ハウスメーカーの顧客のもとへ出向き、この太陽光発電システムを販売するのが、長岡さんの主な仕事。
昨日も、山口の農家に出向き、田んぼにソーラーパネルを設置する提案をしてきた。今日はこれから岡山。明日は島根、次は鳥取、山口と駆け巡り、車の走行距離はこの5か月間で22,000km。
「次々と契約が決まるので、楽しいし、面白い!」
と、乗りに乗っている。

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新規事業を担い続けて。

長岡さんの出身は、兵庫県。
3歳から芦屋に暮らし、大学卒業後、加茂川啓明電機株式会社に入社した。
創業69年という老舗の企業だが、現社長の先見的な発想から、化粧品、車の部品、フライヤーの販売など様々な事業に参入。
長岡さんは、入社以来10年間沢山の新規事業に携わってきた。ネットショップを立ち上げ、楽天の店長も経験したという。
「様々な商品を取り扱いし過ぎて1つのプロに成れない」
と言う長岡さんだが、まんざらではなさそう。

中国営業所立ち上げの4月からの上半期、太陽光発電システムの営業成績は、なんと全国トップ!
「学生時代は、スノボやサーフィン、ゴルフetcと、よく遊んだ」
という長岡さんだが、そんないろんな経験が魅力となり今の仕事に生きているのだろうと、話していて感じた。

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好きな歴史上の人物は、三国志の曹操。

三国志の曹操と聞くと、非道なイメージがあるかもしれないが、
「絶対に、やり遂げる力」
に惹かれるという。「武力」と「知力」の両方を兼ね備えた曹操の完璧な姿が好きなのだそうだ。
そんな長岡さん。
「単なる情報発信のための会議なら、必要無い」
と、本社の会議でも(たとえ社長が居ても)言いたいことは言う。
営業先では、
「まんべんなく全体に」
というやり方はせず、
「好きな人に積極的に」
と、ハッキリしている。
是非はあるかもしれないが、そんな付き合いから生まれる信頼関係は、きっと深く強いに違いない。

ソーラーパネル2.jpg

実は、学生の頃から、いつかは起業したいと思っている。
しかしその前に
「ちゃんと会社に恩返ししてから」
と律儀。
太陽光発電システムの需要は、ここ1年がピークとなるはず。このタイミングを掴んで全国で盛り上げ、しっかり稼ぐ。その後は、新築住宅へ拡げ、エネルギー管理システムで更に売上を伸ばすのだという。

同社が扱っているのは、三菱電機の太陽光発電システム。
三菱電機という会社は「品質」はもちろん「技術」にこだわるのが特徴だという。この「技術力」にこだわるところが、長岡さんが同社を「好きな理由」なのだとか。
“言いたいことを言う”長岡さんが好きだという会社のシステムである。きっと売上は益々、好調に違いない。


インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴
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2013年12月25日11時31分

入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.11

ひこばえの杜 堀 暢貴さん
葬送支援アドバイザー

アップ.jpg

葬送支援の仕事。

「お墓は相場というのがあるので、どこで買ってもあまり違いは無い」
と、堀さん。
違いは結局、他店より何が違うのかということ。お墓は高額なので価格面だけが強調されがちだが、結局担当者との相性の部分が大きい。
「この人からお墓を買いたい!」
と思えるような人からお墓を購入されるのが、一番の正しい選択肢なのかも・・・
そう語る、堀さんは、葬送支援アドバイザー。
葬儀からお墓への納骨までをワンストップで提案し、納得してもらえるプランを提供するのが仕事だ。
葬儀社や墓所を一緒に回ったりしてプランを確定し、いろいろな葬儀社や石材店から出た見積もりを比較し検討していく。
また、お墓の管理(墓守)や撤去、樹木葬や散骨など自由葬のプラン二ング等もしている。

アップ2枚目.jpg


25歳の時に「社長になる」と決めていた。

出身は広島。
大学時代は、広島市民球場でカープ戦の切符切りを4年間やった。バイトを束ねるマネージャーの仕事を任され、人との繋がりの大切さを学んだ。
大学卒業後は、総合卸会社に入社。25歳の時、
「社長になる」
と心に決め、26歳で転職。フランチャイズの石材店で営業職からスタートし、専務となり、35歳の時、社長に抜擢された。
社長になると宣言してから10年。
「強く願えば、必ず思いは叶う。」
という言葉どおりになった。という
社長になるという思いは叶ったが、それ以前の専務の時と社長とでは、そのプレッシャーが全然違った。
全ての責任は自分。甘えは許されない。
正直、大変だが、楽しかった。
そして2年後の2012年4月、サラリーマン社長を辞め、独立。ほどなく、SO@Rビジネスポートに入居した。

取材4.jpg

母を亡くして、気づいたこと。

実は、昨年、お母さんを亡くした。
63歳。末期がんの余名宣告を受け4年半の闘病生活だった。
生まれてきた以上必ず死というものを迎えるわけで、ある意味、覚悟はしていたつもりだったが、
「まず、ものすごい混乱状態になった」
そして、ものすごく忙しなく葬儀を執り行わねばならなかった。
葬儀を終えても、49日まで慌ただしく時間が過ぎ、
「1周忌までものすごく時間が早く感じられた」
という。
自分が経験して初めて、大切な人を亡くした人の痛みがわかった。
グリーフケア(《グリーフ(grief)は、深い悲しみの意》身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること)の必要性に気づかされた。
「単に会員を募って葬儀をしたり墓石を売るのではなく、後に残された人の心のケアまでできる、総合的なお手伝いがしたい」
堀さんの思いを込めた、ひこばえの杜。
事業内容は今後、市民後見人としての活動や、墓所から離れて暮らす子世帯へのお手伝いを通じてたくさんの方に出会い、自らも成長できる事業展開をしていきたい。
※市民後見人=一般市民による成年後見人。一人暮らしの高齢者が増加する現代、死亡届にサインする人がいないというケースも少なくない。認知症などで判断能力が不十分になった人に親族がいない場合などに、同じ地域に住む市民が、家庭裁判所から選任され、本人に代わって
財産の管理や介護契約などの法律行為を行う社会貢献型後見人。


切り株.jpg


蘖(ひこばえ)のように。

蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。
登山が好きな堀さんが山の中で見た、蘖に光が当たる美しい光景を、社名に入れたかった。
また、2011年の東日本大震災の後に被災地を訪れた時に、工事現場の壁に書いてあった「Tree」という詩がありそこに書いてあった、傷ついても希望をもって前へ進む志ある詩の内容に感銘し、名付けたものである。
傷ついたり、傷をもって世の中に出ていくこともある中で、たとえ切り倒されても広葉樹の大木は根っ子に力があるので蘖となって再生していく。その生命力を願った社名だ。
向上心の強い堀さんは、様々な研修会にも精力的に参加している。
最近では、終活カウンセラーや墓地管理士などの資格取得のため、30万円の研修費をかけ東京で学んでいる。
「頑張れるのは、やり遂げた時の達成感があるから」
と、堀さん。
88sあった体重を、16s減量した時も、周囲からは
「痩せれんじゃろ」
と言われたが、やり遂げた。
起業して1年8か月。まだまだ不安はあるが、これまでのご縁から仕事をくださったり応援してくれるかたも居る。妻と3人の娘たちのためにも頑張らねば。
コツコツと。しかし時流を見極めながら。
そして10年後は、民間の地域包括センターを創り、葬送支援全般の事業を通して地域に貢献していきたい。
「できんと言ったら、おしまいですから」
地域と共に良くなろうという、堀さんのまっすぐな思いが伝わってきた。


インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴
ツーショット.jpg


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