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2016年09月14日17時56分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.27
PRPH  吉田 光宏さん
【ビジネスプランナー・メディアコーディネーター】

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効率的&効果的なPR戦略を支援。
20年間、新聞社に勤務し、独立した吉田さん。
製品やサービスなどさまざまな情報をニュースとして発信し、知名度&収益アップにつなげる支援をしている。
製品やサービスには必ずどこかにきらりと光る情報があるもの。そこに普遍的な「ニュース性」を見い出し、コンセプト構成→その具体的な日本語表現→リリースを含むメディアへのアクセス→印刷物作成まで手掛け、効率的&効果的なPR戦略を目指す。

子どもの頃から文章が好きだった。
小学生の時は壁新聞を作り、中学生では新聞配達をし、高校生では新聞部と写真部に所属。根っから文章を書くのが好きだった。本もたくさん読んだ。
東京の中央大学に進み、多くの学生が弁護士を目指す中、創造力が求められる映像や広告フィルムのディレクターに憧れ、メディアへの就職を目指すサークル「グループH」に所属。作文やスピーチのトレーニングを積んだ。

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「行くところに事件あり」多くの記事を書いてきた。
大学卒業後は、地元広島の新聞社に入社。カープ2度目の優勝の年だった。
本社で報道部を1年経験した後、山口支社へ配属され、県庁や県警を担当。
「行くところに事件あり」
そう言えるくらい、殺人事件などさまざまな記事を書いた。
入社5年目の時に、陸上自衛隊山口駐屯地で起こった訓練中の自衛官による小銃乱射事件では、犯人を連行して警察署に入るまさにその瞬間を捉えた吉田さんの臨場感あふれる写真が、朝刊(1984年2月28日付)の一面を大きく飾った。
正門で多くのマスコミがカメラを構えて待ちかまえる中、機転を利かせて裏の通用門との中間で待機していた吉田さんただ一人が、
猿ぐつわを当てられ、機動隊に連行される犯人の姿を正面から撮影することができたのだった。

見出しのコピー製作やレイアウトを10年間。
新聞ならではのレイアウトのルールがある。それを守りつつ、写真と原稿を調整して紙面に配置し、見出しのコピーを制作する。日刊紙だから当然、かけられる時間はタイト。
そこには高い能力が必要とされる。
山口支社に6年勤務した後は、第一整理部でそんな仕事を10年間担った。

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アメリカ留学で得たもの。
第一整理部に在籍中、1993〜94の1年間、スタンフォード大学ナイト・フェローシップ(中堅ジャーナリスト対象のプログラム)に留学した。
実力がものを言うアメリカ。
ローカル紙からスタートしても、数年で転職を繰り返し、実力次第で、ワシントンポストやニューヨークタイムスへキャリアアップするジャーナリストたちも、現実に居る。
日本とは全く違う、彼らの独立志向から、刺激を受けた。
また、アメリカは、自然保護運動のメッカ。
1999年に新聞社を辞めフリージャーナリストとして独立した後、2000年に日本環境ジャーナリストの会に加入した。自然環境だけでなく、自然と関連の深い農林水産業の取材を続けた。ジャーナリズムとしてテーマを追究するのはアメリカでの経験が影響しているのかもしれない。その後、2010年からビジネスプランナー・メディアコーディネーターの活動も始め、農政ジャーナリストの会へも加入した。

自然体をモットーに。楽しみは、歴史にまつわる旅行。
妻と、娘2人の4人家族。
輝いていた「昭和」を懐かしみ、麻丘めぐみの笑顔がまぶしい歌謡曲や勧善懲悪のドラマなどをYou tubeで見ながら息抜きしている。最近は、学生時代の友人と高杉晋作と吉田松陰をしのぶ“維新の旅”、水森かおりの「東尋坊」「輪島朝市」を口ずさみながらの能登半島の旅、石川さゆり「津軽海峡冬景色」で歌われる龍飛岬訪問など、国内をあちこち旅している。9月は尾瀬と国定忠治の赤城山を訪ねたばかり。
来年のお正月には、東京両国の吉良上野介の屋敷跡から、泉岳寺までのルートを歩いてたどる“忠臣蔵の旅”をする計画まで、既に立てているのだとか。

好きな言葉は「遠山の金さん」にも出てくる「至誠一貫」
新聞社時代、聞いたことにはちゃんと対応し、「嘘を書かない」ことを貫いたという吉田さんの姿勢が、この言葉からも感じられる。
大切にしていることは、「自然体」。
あたりまえだが、人間が生きるうえで欠かせないものであり、そこからインスピレーションが得られるのが自然の力。
IT企業の一大拠点、シリコンバレーのあるサンフランシスコ湾エリアにだって、自然は豊かにある。
現在はWebの時代だが、紙で伝えてきた新聞記者としての経験により、デジタルだけでは養えなかったであろう大切なものを、たくさん身につけることができた。
そんな吉田さんの経験を凝縮した、PRの仕事は、多くの企業に必要とされている。
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インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴




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2016年07月05日15時46分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.26
ごほうびPhoto
 なんなあみかる 中川 洋子さん
 カメラマン Shot Production 森下 彰三さん
 エディター M-create 下坂 涼さん
【動画・フォトブック作成・女性のセミヌード撮影プロデュース・プライスレスな「ごほうび作り」のお手伝い】

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3人の出会い。
「ごほうびPhoto」は、代表の中川さん、カメラマンの森下さん、下坂さん3人のユニット。ソアラサービスの創業支援プログラム「FLY HIGH!」に参加した、中川さんと森下さんが出会ったのを機に産まれた。
趣味の動画やフォトブックの作成、女性のセミヌード撮影プロデュースなど、写真や動画で自分の個性を表現したいという顧客の「ごほうび作り」を提供している。
起業から1年半。このたび新たに、エディターの下坂さんをメンバーに加え、夢に向かってまい進中だ。

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デパートでの販売経験18年の、中川さん。
代表の中川さんは、デパートの酒売り場で18年間、販売一筋でやってきた接客のプロ。在職中には、ワインやチーズに関する資格も取得し、女性の多い売り場ならではのコミュニケーション力も磨いた。両親からは、
「一度は商売せにゃあ、つまらん」
と言われて育った中川さん。
会社からは専門職として重宝されるが、異動のない職場に、いつしか、一つのところにへばり付くのは自分にはムリ! と感じるようになったという。
「自分で事業がしたい」
そんな思いを抱いた。
「知らない世界をもっと見たい、もっと広く、いろんなことを知りたい」
その思いは募る。
2004年、姉夫婦が実家で仕出し屋を始めたのを機に、退職。店舗のプロデュースを手掛ける一方で、マナー講師の資格も取得。これまでの経験を生かし、講師として創業しよう・・・
そう思って参加した創業支援プログラムだったが、そこでカメラマンの森下さんと出会ったことが、「ごほうびPhoto」創業に繋がった。

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東京で映画やCM撮影などの経験を積んだ、森下さん。
カメラマンの森下さんは、根っからの、映像好き。福岡の大学を卒業して一般企業に就職したものの、映像の仕事に興味があり、夜間、写真や映像を学ぶため専門学校に通った。機材を学校でレンタルし、8mmフィルムの自主映画を撮ったりもした。
20歳代で転職し、撮影機材のレンタル会社に入社。業界関係者との接点をつくり映画カメラマンのアシスタントを務め、30歳で独立。プロカメラマンとして映画やCM撮影の仕事を、多数、手掛けてきた。デジタル化が進んで以降は、ディレクションや編集にも携わり、縁あって何度か広島で仕事をしたのをきっかけに、「いいところだな」と思って2011年、拠点を広島へ移す。

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きっかけは、頑張った自分へのご褒美。
2014年の夏、ソアラサービスの創業支援プログラム「FLY HIGH!」の面接で偶然一緒になった2人。
森下さんの経歴を知り、中川さんは、かねてより自分がやりたくても出来なかったことをお願いしてみた。
「わたしのセミヌード写真を撮ってもらえませんか?」
実は中川さん、80kg以上あった体重をダイエットして30s落としたので、今の姿を記念に写真に残したいと思いあちこちあたったが、広島では撮影してくれるスタジオを見つけられず、実現できないでいたのだった。
それは、頑張った自分へのご褒美でもあった。

東京だったら普通にあるセミヌードの撮影スタジオ。
「広島に、無いというのが不思議だった」
と、森下さん。
カメラを手にすれば、全ては被写体。
「その人のよい面を撮るために、どう捉えるか」
それをジャッジするのがプロのカメラマンであり、お客さまはそこにお金を支払うのだ。
セミヌードであってもそれは変わらない。
そんな森下さんが捉えた、中川さんのセミヌード写真は、本当にかっこいい。

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夢が叶い、中川さんは思った。
「きっと私と同じように、セミヌードを撮りたい人は居るはず!」
すぐに、森下さんに提携を持ちかけた。
事業名は、『ごほうびPhoto』。
「名前に惹かれた」
と、森下さん。事業の広がりもイメージでき、提携を快く承諾した。
中川さんはすぐに事業計画を作成し、創業支援プログラムの最終日、銀行など支援機関がずらりと並ぶ発表の場で、創業計画をプレゼン。翌月には販促ツールを制作し営業を開始した。
ターゲットは、経営者や、結婚直前の女性など、今の自分を写真に残しておきたいと思う個性的な女性たち。
撮影に慣れていないお客さまをリラックスさせたり、ヘアメイクを直したり、ポージング指導をするのが中川さんの役割だ。
1年半を経、キャラクターに扮した人や、趣味のグッズを撮影したりと、”ご褒美”の幅も広がってきた。

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3人居る意味。
新たにユニットに加わった下坂さんは、専門学校で映像を学んだ後、広島のCM制作会社に就職。
「いつかは独立したい」
という思いから、撮影だけでなく、印刷など幅広い知識や経験を身につけようと転職。フォトアルバム等の制作会社で7年の経験を積み、30歳で独立して以来、自宅で2年間やってきた。
そろそろオフィスを持ちたいなと思っていたところに、タイミングよく森下さんと出会った。
「同業だけど、路線が違う」
そんなお互いを、必要と感じた。そんな2人に、中川さんが反対する理由はなかった。
ユニットは3人に。お客さまの我儘なオーダーにも、
「撮りたいですよね」
と、その思いを理解できるのは、中川さんならでは。そんな案件を、森下さんと下坂さんが、技術面から検討。知恵を絞ってアイデアを出し合う。予算が限られていても、また、道具にも限りがあるが、
「無いものから、工夫するのが面白い」
3人居る意味は、そこにある。

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繋がる可能性。
中川さんの良さは、誰とでもすぐに仲良くなれること。
「やりたいことに向けて努力をしていたら、周りは必ず協力してくれる」そして「聞く耳を持つ」
そうやって、出会った人に助けられてきた。
「そんな出会いを、これからもずっと大事にしたい」
と、中川さん。

広島に来て、SO@Rにも関わり、多くの経営者と出会ったという森下さん。周りにいる起業家の仲間たちは繊細で、みんな人との繋がりをとても大切にしている。そんな姿を目の当たりにして、たくさんの刺激をもらっている。
「目指すは、”広島一の動画制作会社”」
これからも、多くを学び、自分を大きくしていきたい。

これまで自宅でやってきた下坂さんは、SO@Rビジネスポートに入居して、人と関わる機会が増えたという。
「もっと、コミュニケーションしていきたい」
そんな前向きな志向も、3人だからこそできる可能性を実感したからこそ。
ここからまた何が産まれるのか。
「ごほうびPhoto」の今後が楽しみだ。
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インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴

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2016年03月01日11時23分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.25
ローランド ディー.ジー.株式会社 
北アジアセールス本部 国内営業部 広島サポートセンター
担当課長 橋本 知成さん
【コンピュータ周辺機器の製造および販売】

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楽器の”ローランド”との関係。
ローランドと聞けば、シンセサイザーや電子ピアノなどの楽器を思い浮かべる人は少なくないだろう。
ローランド ディー. ジー.株式会社 (以下、ローランドD.G.)は、ローランドの関連会社株式会社アムデックとして1981年に大阪に設立され、1983年より現社名。1985年に本社を静岡県浜松市に移した。
ピアノ製造などで発展してきた浜松市には、その部品などの製造会社も集積しており、コンピュータミュージック用機器などのコンピュータ周辺機器や、ギター用エフェクターの組立キット等を製造販売する同社にとっては好立地。
「音符を書く機械を創ろう」
と目指し、そこから発展して、「ペンプロッタ」(ペンなどの器具を紙の上で動かして図を描く出力機)を開発。CADなどの用途として機械や建築設計会社などで多く使われた。
この技術を活かして、ペンをカッターやドリルに換えれば、また新たな用途が広がる。ローランドD.G.が得意とする、カッティングマシンや3D加工機はこうして産まれた。

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広告・看板用インクジェットプリンターでは世界屈指。
カッティングマシンは、看板や広告をつくる看板屋に広く受け入れられ、建築から看板の業界へと市場を広げた。
更には、カッターの替わりにプリンターのヘッドをつけることで業務用大型インクジェットプリンターを開発。広告・看板用に特化した戦略で、ローランドD.G.は急成長した。
2000年、東京証券取引所市場第二部上場。
2002年、東京証券取引所市場第一部上場。
現在、広告・看板用インクジェットプリンターでは世界屈指のローランドD.G.。
耐候性に優れた溶剤、また、キラキラとしたメタリックカラーを出力できるプリンターや、UV(紫外線)ランプを当ててインクを固めるプリンターなども開発し、店舗の演出や、車や家電の装飾、映画のセットなど様々な場所で使われている。

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営業一筋、25年。
ローランドD.G.は、2年前から広島の拠点をSO@RビジネスポートのANNEX(個室テナント)に移し、北アジアセールス本部 国内営業部 広島サポートセンターを置いている。
橋本さんは、東京の大学を卒業後、故郷である浜松市で就職をと考え、ローランドD.G.に入社。
入社後1年半の東京勤務を経、広島には4年半赴任し、名古屋、札幌、仙台、広島、大阪を経、広島に戻って丸2年になる。
「営業は向いてない」
と言う橋本さんだが、きっとそんなことはない。営業一筋、25年。長く続いているということが、それを裏付けている。
現在担当している地域は、広島、岡山、島根、鳥取、愛媛。
販売店へのPRや、Webから入る資料請求先へのアプローチ、展示会への出展、セミナー等の企画運営など、多面的な動きで、メーカーの営業として販売店をパックアップしている。

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一期一会を大切に。
札幌から広島まで各地を転々としてきた橋本さん。
その土地その土地で多くの出会いがあり、繋がってきた。
中には一回だけの出会いが今でも繋がっている方もおり、それを思うと「一期一会」の大切さを痛感する。
東日本大震災が起こった時は、仙台に赴任中だったという橋本さん。自身はその日、仙台を離れていたが、家族のもとに帰ってみるとマンションの部屋の中はグシャグシャ。水や灯油を分けてくれたのは、お客さまだったという。
結婚して17年という奥さまとは、最初の広島赴任時に出逢った。大阪での1年間を除き、転勤があるたびいつも一緒だという仲の良いご夫婦だ。
その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いかもしれないという「一期一会」。
出会いを大切に、SO@Rビジネスポートの歓送迎会や忘年会などにも、いつも積極的に参加している。
セミナールームを利用して開催した、
平成28年度設備投資に使える経産省の補助金勉強会
「ものづくり・商業・サービス新展開支援補助金」について
は、午前、午後ともに満員御礼という盛況ぶりだった。
日頃から「一期一会」を大切にする、橋本さんの心がけが、きっとこういう時にプラスに働くのだろう。
今後は、SO@Rともコラボし、UVプリンターやレーザー加工機を使ったセミナーやワークショップなども積極的に開催していく。
人と情報が有機的に関わる創発の場、SO@Rビジネスポートから、また新たな何かが産まれそうな予感がする。

インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴

posted by SO@R at 11:23 | 広島 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  ●入居メンバー紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年10月19日09時50分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.24
維新国際特許事務所 所長 弁理士
井上 浩さん
【特許・実用・意匠・商標・国際出願、財戦略コンサルティング、ブランド戦略コンサルティング、技術移転・ライセンス契約、知財に関する訴訟対応、特許検索・商標調査、知財教育サービス・講師派遣】

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特許事務所の仕事。
特許や商標なんて自分には関係ないと思う人もいるかもしれないが、知らないと大変な事態になるケースもあるから、注意が必要だ。
「儲かっていないうちはいいが、儲かった時に訴えられる」
と、井上さん。
たとえばサービス業の場合、他人が登録している商標と同じ屋号を知らずに使っていて損害賠償を求められたケースもある。
技術系では、たとえば開発したアプリは著作権で守られてはいるが、それはプログラムの配列や目に見える画面構成等に限られており、プログラムのコードや見た目のデザインを変えて同じ機能を備えたアプリを作られてしまう危険性は残る。それを防ぐには、技術内容の特許を取っておくことが重要だという。
維新国際特許事務所では、このような国内外の特許・商標登録出願のほか、事業経営に結びつく知的財産戦略やブランド戦略のコンサルティング、権利を有効活用する技術移転とライセンス契約、知的財産権に関する係争相談及び訴訟対応など、特許や商標等の知的財産に関する業務を幅広く担っている。

東芝を39歳で退職。渡米しMBA取得後、山口で開所。
井上さんが特許事務所を開いたのは2001年。
出身地 下関の高校を卒業後、大阪の大学へ進学して原子力工学を学び大学院を卒業。東芝に就職し原子力プラントの設計を7年半、その後、希望して知財を扱う部署で6年半勤務した。
この頃から、
「いつか、独立しよう」
と思っていたという井上さん。14年間勤めた会社を39歳で退職し、渡米。アイオワ州立大学のビジネススクールでMBAを取得した。
弁理士の資格は東芝時代に取得していた。
当時、弁理士は少なく全国にわずか3000人余。故郷の山口県にはまだ特許事務所は無く、必要時には県外に依頼するしかなかった頃。貯金は無いが
「なんとかなるか」
と、山口で事務所を開くことに決めた。
42歳の時だった。

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山口一の規模。広島オフィス開所で更に広がる。
スタートは、山口駅前の小さなビルの一室。県内で二か所目の特許事務所となった。当初、スタッフは一名だったが、2年目には新卒の学生2名を雇用。以来、順調に事業を拡げてきた。
「大勢より、少数派。ありふれた人にはなりたくない」
子どもの頃から、
「人と違うことがやりたかった」
と、井上さん。
そんな井上さんから、苦労の色はまったく感じられないが、一般的に地方でいい人材に出会える機会は少ない。スタッフは全て特許事務所勤務の経験のない素人を採用し、一から教え育ててきたが、せっかく育てても都会を目指したり、実家を継ぐために辞めて行った人もいたという。
「地方であるからには仕方ない」
「ここでやるには、受け入れよう」
と、頭を切り替えた。
何事も前向きな井上さん。
2002年には海外の特許事務所とも提携し、SO@Rビジネスポートに広島オフィスを設けたのは2010年。広島での仕事も増え、国内外の事務スタッフ2名と、技術者3名を抱える、小規模だが山口一の規模に成長した。

特許をもっと使ってもらえる体制づくりを。
知財を担保に融資も受けられる時代。自分のアイデアで特許を取得する個人も増えている。
それがお金になることへの期待はもちろんあるが、目的はそれだけではない。収入は少なくても、自分のアイデアが商品になって世の中に出回ることに喜びを感じる人も少なくないという。
そんな人たちが、
「特許を取ってよかった」
と思えるよう、
「特許をもっと使ってもらえる体制をつくりたい」
と、井上さん。
特許を取得した人と、そのライセンスを使ってくれるメーカーや販売代理店を繋ぐ場づくり。そこから成功モデルを産み、特許の可能性を更に広げる。
それが、井上さんのビジョンだ。

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登山と旅行。プライベートも大切に。
趣味は登山。山口や九州の山によく登るが、富士山にも吉田ルートと富士宮ルートから2回登頂した。
よく旅行もする。最近では、南アフリカを旅し、ジープに乗ってゲームサファリを体験したり、サントリーニ島やプーケット島にも行った。いずれも、3年前に結婚した奥さまとの二人旅。
奥さまとの出会いは、気分転換に始めた英会話教室だったという。
仕事優先でプライベートは後回しの人生だった。だから、今は仕事もプライベートも、大切に。
自分らしく、人生を楽しむ感覚。
井上さんがいつも穏やかで優しい印象である理由が、取材をとおしてわかった気がする。

インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴


posted by SO@R at 09:50 | 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) |  ●入居メンバー紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年08月21日15時30分
入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.23
ミントプランニング合同会社 
代表 水田 裕二さん カメラマン 松本 耕士さん
【リスティング広告コンサルタント】

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データと経験から得た、Web広告のノウハウ。
リスティング広告とは、検索エンジン(Yahoo!やGoogleなど)でユーザーがあるキーワードで検索した時に、その検索結果に連動して表示される広告のこと。「検索連動型広告」とも呼ばれる。
「Yahoo!JAPANプロモーション広告」や「GoogleAdWords(アドワーズ)」などがそれだ。
一般的に、検索エンジンの自然検索枠で上位に表示させるSEO(Search Engine Optimization)には多くの時間と労力、コストを要すると言われるが、リスティング広告を使えば、キーワードの入札価格や広告としての品質によって順位付けられて表示されるため、比較的すぐに成果が見込めると言われる。
このリスティング広告のコンサルティングを事業の柱とするミントプランニング。
売りたい商品やサービスによって、その人気キーワードを巧みに入れ込み、クリックされやすい広告文をつくったり、購入されやすいランニングページをつくるなど、データと経験から得たノウハウを駆使。女性のファッション関連商品や、高齢者向けの旅行系のものなど、幅広い層をターゲットにしたネットビジネスを強力にサポートする。

互いに違うものを持っているから、惹かれあう。
代表の水田さんは39歳、カメラマンの松本さんは40歳、同年代の2人だが、タイプは全く違い、それぞれ個性的なキャラが立っている。
「水田さんは、雑学王でありアイデアマン」、「松本さんは、集中力と情熱のある人」と、互いに特長を認め合う2人。傍から見てもなんだか仲良しで、妙に息が合っているように見える。

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水田さんは、高校卒業後、ガソリンスタンドに就職。その後、愛知県でトヨタ車の製造の仕事をしていたが、祖父の介護のため郷里の岡山へ。農業を手伝うなどしたが祖父が逝去し、29歳の時に再就職し、ソニーの販売員に。店頭でテレビを売ったこともあるという。
時は、アナログから地デジに移行するちょうどその頃。
「こうすれば、お客さんが心動かす」
という売り方のコツや、”魔法の言葉”も、その経験から学んだ。
その後、34歳で早期退職し、広島のケーブルTVに就職してホームページを担当。更新や広告出稿などの業務をする一方で、カメラワークや編集など一人何役もこなさねばならなかったが、おかげでWeb広告と映像のノウハウを得、35歳の時に独立。アフェリエイトの広告収入と、ブライダル映像の仕事に恵まれた。

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松本さんは、大学卒業後、地元のケーブルTVに就職。1年間の営業経験の後、撮影、編集、ディレクターを担い、9年間、番組制作を手掛けてきた。しかし肩を痛め、カメラが振れなくなってしまった。
「定年まで続けるのか? このままでいいんだろうか?」
会社の合併で、社内の雰囲気も大きく変わった時期でもあった。
悩んだ末、退職。
自動車販売会社で営業をし、1年経った頃には、肩も回復した。
時は、映像機材が一式200万円で揃うような時代。
小中学校の修学旅行や、部活動などを映像に収録したいというニーズも少なくない。
「一人で出来る!」
そう確信し、独立を決意。33歳の時だった。

そして2年前、2人はブライダル映像の仕事現場で出逢った。
NETに興味のあった松本さんにとって水田さんの仕事は魅力的だったし、松本さんに喜んでもらえるという存在意義は水田さんをポジティブにしてくれた。

動画でアピールする、Web広告の可能性。
それぞれが、紆余曲折を経験し、独立した同志。
2人の個性を活かし合い、今後は、NETに動画を取り入れた広告の可能性を拡げたい。
国内最大級の鯉の品評会では、鯉の泳ぐ美しい姿を撮影して事前にWebに公開し、2000万円もする高額な鯉を販売した実績もある。
最近では、釣具店のWebサイトに、ルアーを使って釣りをする動画(YouTube)をアップして、ルアーの魅力を伝えて売上を伸ばした。

「そしていつかは、農業経営も手掛けたい」
と、水田さん。20代の時、祖父の介護をしながら農業をした経験から、作付管理など経営的視点の重要性や、農薬を使わない農業の需要などを実感。今のビジネスで収益をあげ、基盤を築いたら、いつかこれを自身の手で担いたい。
そんなポジティブな思いになれるのも、傍に松本さんが居てくれるおかげ。
ここSO@Rビジネスポートに2人の拠を構え、夢の実現を目指す。

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インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来千鶴

posted by SO@R at 15:30 | 広島 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  ●入居メンバー紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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